Generativeなソフトウェア

Nao Tokui
6 min readApr 8, 2017

初出 — InterCommunication 2003年9月号

ここ最近,Generative Art,Generative Designといった言葉をよく耳にする.これらは,制作者によって定められたある種の自律性を持った「生成的な」プロセス(自然言語で書かれたルール,機械,そして典型的にはコンピュータソフトウェアなど)によって生み出されるアート,デザインとして定義される[1].一般に作品などと呼ばれる生産物そのものではなく,作品を生み出すプロセスを作ることに制作者の主眼が置かれている点を特徴とする.

何らかの手続きに基づいて映像や音楽を生み出す行為自体は,モーツァルトの《音楽のさいころ遊び》 の例を挙げるまでもなく,それほど目新しいことではない.しかし,90年代以降,人工生命や遺伝的アルゴリズムなどの確率的・集合的アルゴリズム体系によって提示された従来の西洋科学にはないボトムアップな世界観に影響を受け,プロセスの自律性や進化的なアナロジーを強く意識するように変容している.

コンピュータの計算能力の劇的な向上が,単純な計算やルールをひたすら繰り返すことが要求される複雑系などの研究を押し進めたように,Generativeな手法を語る上でコンピュータとソフトウェアの存在は不可欠である.実際に,Generativeな手法を商用のソフトウェアとして実現した例も少なくない.

Signwave Auto-Illustrator (画像はhttps://arteedadsilicio.com/london-calling/2001-london-calling-adrian-ward/より)

その代表的な例として,しばしば挙げられるのがSignwave Auto-Illustrator[2]であろう.このベクターグラフィックソフトウェアは,その名前が示すように,Adobe Illustratorへのアンチテーゼとして制作された.このソフトウェアでは,まるで子供の落書きのように,一つの円が複数の歪んだ丸の重なりに,長方形がギザギザな多角形へと変化させられる.そこにユーザの手によって細かいパラメータの調整や時にアンドゥやが行われることで,ゆるやかなフィードバックループが形成される.そこから生成されるモノは,コンピュータのプロセスをノイズ・ジェネレータとして用いた可能性の模索の結果であり,人間にこびないインタラクションの結果でもある.コンピュータそのものを一つの「素材」として対象化する久保田のデジタル・マテリアリズム[3]に通じるものを感じとることができる.

Nao Tokui — SONASPHERE (2003)

筆者が同様のコンセプトの下に制作しているSONASPHEREは,キネティックな三次元インタフェースを特徴とする音響ソフトウェアである.エフェクトやサンプルのプレイバックといった音響的な機能単位は,パラメータ空間を表す仮想三次元空間内の一点を占める球として表現される.こうした球の間にローカルな力を規定していくことで,全体として複雑系的な振舞いが生み出され,視覚的な球の動きが音の変化へとトランスレートされる.ここにおいてもユーザは全体のフィードバックループの一つの要素でしかなく,システムを完全にコントロールすることを拒否される.

一般にソフトウェアとは,絵を描く,音楽を作るといった人間の行為のある側面を切り取りコンピュータ内に具体化した存在である.行為を抽出する際には,制作者の思想が無意識的に(時として意識的に)反映される.そのためソフトウェアは,ユーザに対して自分ではない誰かが規定した行為の規範に従うことを強要する.自分の名前を入れて好きな絵柄を選んだらハイ出来上がり的な年賀状ソフトやサンプルループのテンポを勝手に合わせてくれる音楽ソフトに対して,生ぬるい居心地の良さを感じつつも,どこかで後ろめたさを感じるのはこのためであろう.

もちろん,これは何もソフトウェアに限ったことでない.道具は常に機能をアフォードすると同時に,使う人を規定するものである.ソフトウェアの場合にそれが顕著なのは,提供される機能が高度化されている上に物質的な存在を持たないため,想定された使い方以外の使い方をする,誤用するのが困難だからである.

Generativeなソフトウェアは,切り取った行為に対して,外部的なプロセスを導入することである種のゆらぎを生み出す.プログラマとユーザとの間に第三者である素材としてのコンピュータプロセスを介在させることで,前述の後ろめたさを解消しようとする試みともいえる.しかし,Auto-Illustratorで作った画像がどこかしら似てくる現象が象徴するように,こうしたGenerativeなプロセスの導入も結局は新たな切り口の提示でしかないことが分かってくる.そこには制作者側の世界観のユーザに対する強制が生じざるを得ない.

一方で,ソフトウェアは便利な道具として使えればよいという声も聞こえてくるだろう.しかし,人間にとって根元的とも言える創作行為を少数のソフトウェアによって規定されているような世界が健全だとは到底思えない.Generativeなソフトウェア群は,ソフトウェア,コンピュータと人間の間に横たわるこうした問題に微かな光を投げかけている.

[1] The International Conference on Generative Art, http://www.generativeart.com/
[2] Auto-Illustrator, http://www.auto-illustrator.com/
[3] 久保田晃弘編,ポスト・テクノ(ロジー)ミュージック,大村書店,

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